ニコン「慰安婦」写真展中止事件裁判が意味するもの

永田浩三(支援の会、武蔵大学教授・ジャーナリスト)

 

●写真は見てもらって初めて完結する

みなさんは、写真というものをどう考えますか。現場に行って撮影し、それを自分で見る、あるいはほかのひとに見てもらって初めて完結するものではないでしょうか。

写真家・安世鴻さんは、中国にのこされた元日本軍「慰安婦」の被害女性の写真を撮り続けてきました。その写真は、ニコンの選考委員会での選考の結果、2012年夏、新宿ニコンサロンならびに大阪ニコンサロンで展示されることになっていました。しかし、新宿での展示はいったん中止になり、大阪はついに開催されなくなりました。いったい何があったのでしょうか。

●中止の理由を変えたニコン

ニコンは、その理由を当初は、安さんの写真が「政治的だから」とか、被害女性の救済のための活動とつなげるのは約束違反だなどと言い、安さんの側に落ち度があると言いました。しかし、その後は、写真展の中止を求める声に抗するわけにはいかず、企業を防衛するためにやむを得なかったと言い分を変えています。

もちろん、ニコンも私企業ですから、組織を守ることは必要でしょう。しかし、ニコンは世界の写真文化を常にリードしてきた誇り高きカメラメーカーです。戦場、公害の現場、貧困、飢餓、差別、災害……これまでいったいどれほどのひとが命を落とし、不正義に涙を流したことでしょう。そのなかで、ニコンのカメラはいつも最前線にあり、写真というメディアを通じて、おおくのひとびとが、その現実を共有することに貢献してきました。写真は見られることによって、写真足り得るのです。

ニコンの選考委員会がこれまで選んできた作品は、世の中はこれでよいのかという強いメッセージを伴うものでした。安さんの写真もまさにその流れのなかに位置づけられるものです。中国に残され、歴史から消され、ひっそりと生きる被害女性の姿は、わたしたちにその事実の重みを強く訴えかけます。写真の前でわたしたちは立ち尽くし、考えるのです。今回の場合、そもそもニコンの選定委員会が安さんの写真をほかのあまたの作品のなかから選んだわけです。それはひとつの見識でした。ですから、写真展を中止することは、ニコン自身の表現活動にも深い傷を残すことになりました。

●表現の自由はなぜ保障されなかったのか?

なぜニコンは、中止の判断をしたのでしょうか。わたしたちは知りたいのです。写真展という活動は、日本国憲法に明記された表現の自由の発露そのものです。なぜそのことが保障されなかったのでしょうか。わたしたちは知りたいのです。

裁判は、いつも困難なものです。裁判所のなかでおこなわれることについていくことは至難の業です。安さんはいま孤立のなかにあります。なぜなら、世界のニコンにあらがうことは、写真家としてあまりに大変なことだからです。だからこそ、どうかひとりでも多くの方に関心を持っていただきたいのです。安さんの問題は、わたしたちの表現の自由の問題であり、安さんがライフワークとしている「慰安婦問題」は、日本社会がきちんと向き合わなければならない問題です。どうかこの裁判に興味を持ってください。そしてご支援をよろしくお願いいたします。